あなたの会社の経営層は、自分でAIを使ったことがあるか。ChatGPTでもClaudeでも何でもいい。一度でも自分の手を動かして、業務に使ってみたことがあるか。この一点を問うだけで、「AIすごい」発言の重みがまるで変わってくる。AIリテラシーという言葉が飛び交う時代に、経営層自身のAIリテラシーはどこにあるのか。

これは経営層を批判したい記事ではない。企業のAI活用推進の現場で起きている構造的なすれ違いを、社内IT部門の視点から整理したい。悪者はいない。ただ、仕組みとメッセージの設計に問題がある。

社内IT部門でEA(エンタープライズアーキテクチャ)を推進してきた立場から言わせてもらうと、経営層の「AI活用を推進せよ」という発言の大半は、外部のカンファレンスや業界レポートから仕入れた情報の受け売りだ。自分で使ったことがない人間が、すごいと言っているだけのケースが多い。悪意はない。情報収集の回路が、現場と違うだけだ。


実態①――「AIで残業削減」は誰が動かすのか

経営会議で「AIを活用して残業時間を削減せよ」という方針が降りてくる。手段はAI、以上。何をどう使うか、誰が教えるか、習得の時間をどう確保するか――道筋は何一つ示されない。

社内ITあるあるとして聞いてほしいのだが、この手の号令が飛んできたとき、現場で実際に起きていることはだいたい同じだ。誰かが自腹で勉強し、誰かが時間外で試して、結果だけが「AI活用の成果」として上に報告される。やっていることはAIではなく、業務整理と根性だ。

自分の経験で言えば、やったのは業務のシンプル化だった。一つの業務を分解して、注力すべきポイントを絞り込み、判断の重力点を変える。AIはその過程で使える場面に使う。突発的な作業や高度な判断が求められる場面は、人間がやる。当たり前の話だ。

結果として残業時間は減った。だがそれは「AIのおかげ」ではなく、業務設計を見直したからだ。経営層には「AIで改善しました」と聞こえているかもしれないが、実態はまったく違う。


実態②――やりたいけど、やれない現場の構造

現場のメンバーはAIを使いたくないわけではない。むしろ使いたい。だが時間がない。

「AIを活用せよ」というメッセージが飛んでくるとき、何をどう使うか、どう業務に組み込むか、習得の時間をどう確保するか、何一つ示されないまま号令だけが届く。だから現場は動けない。動けないまま、管理職が時間外に頑張る。年俸制だから残業代は出ない。「現場がやってくれるだろう」という空気の中で、見えないコストが積み上がっていく。

これはAI推進でも何でもない。単なるしわ寄せだ。そしてこれもまた、社内ITあるあるの一つだ。

あなたの現場でも、似たようなことは起きていないだろうか。「やれと言われているけど、何をどうやればいいか誰も教えてくれない」という状況が、日常になっていないか。


判断基準――具体例を一つ言えるか、言えないか

では「AIをわかっている」経営層とはどんな人か。自分の基準はシンプルだ。

具体例を一つ、自分の言葉で言えるかどうか。

ここで言う具体例は、議事録の自動生成のような「もはや当たり前」の話ではない。そのくらいはすでに業務に組み込まれていて当然だ。AIリテラシーという観点で求めているのは、もう一歩踏み込んだ話だ。

たとえば、英語の音声をリアルタイムでAIに翻訳させながらグローバル会議に臨んでいる。あるいは、コードを一行も書かずにAIとの対話だけで社内向けのスケジュール調整ツールを作ってしまった。子どもと遊ぶための簡単なゲームアプリを週末に作ってみたら、思いのほかちゃんと動いて自分でも驚いた――そういう話だ。

「なるほど、そこまでできるのか」と思わせる話が一つあるだけで、現場の受け取り方がまるで変わる。「自分もちょっとやってみようか」という気持ちを引き出せるかどうか。それがメッセージの質を決める。

「AIはすごい」「これからの時代はAIだ」だけでは、現場は動かない。具体性のないメッセージはノイズになるだけだ。そしてそのノイズを受け続ける現場の消耗は、数字には出てこない。経営層が悪いのではない。具体例を持たないまま発信する構造が、問題なのだ。


打ち手――号令の質を隣から上げる

経営層に向かって「あなたはAIをわかっていない」と言うのは、さすがに余計なお世話だ。それは現実的ではないし、角が立つ。

だが、できることはある。AI推進担当者やDX推進の文脈で動いている部署に、こっそり提言することだ。

「トップがメッセージを出すときは、現場の実践事例を一つ添えてもらえないか」と。具体的には、自分の部門でAIを活用している担当者に協力してもらい、短い事例を一つ用意しておく。それをトップメッセージに添える形を、AI推進担当者に提案する。たった一つの「面白い」事例を添えるだけで、現場への刺さり方がまるで変わる。メッセージを発する側も、事例を探す過程で企業のAI活用への理解が深まる。

これは批判ではなく、設計の話だ。EAの仕事とは、こういう地味な働きかけの積み重ねでもある。上から降ってくる号令を受け止めるだけでなく、号令の質を上げる仕組みを隣から作っていく。それがEA担当者にできる、現実的なアプローチだと思っている。


あなたの現場はどうですか?

あなたの会社の経営層は、「なるほど」と思わせる自分だけのAI活用例を語れますか?「AIすごい」で止まっているか、一歩踏み込んだ言葉を持っているか。そして現場のIT部門は、その号令をただ受け止めるだけになっていないか。

号令の質を上げることも、EAの仕事のうちだと私は思っています。ぜひ自分の現場を振り返ってみてください。


筆者:EAの中の人|事業会社の社内IT部門にてエンタープライズアーキテクトとしてEA推進・ITガバナンス・データ活用・AI活用に携わって10年以上。
本記事の内容は個人の見解であり、所属組織を代表するものではありません。